あなたは心に邪念を起し、『第七年のゆるしの年が近づいた』と言って、貧しい兄弟に対し、物を惜しんで、何も与えないことのないように慎まなければならない。その人があなたを主に訴えるならば、あなたは罪を得るであろう。
賃銀はその日のうちに払い、それを日の入るまで延ばしてはならない。彼は貧しい者で、その心をこれにかけているからである。そうしなければ彼はあなたを主に訴えて、あなたは罪を得るであろう。
自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
兄弟たちよ。互に不平を言い合ってはならない。さばきを受けるかも知れないから。見よ、さばき主が、すでに戸口に立っておられる。
「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。 おのおのに、その道にしたがい、 その行いの実によって報いをするためである」。
もしあなたが彼らを悩まして、彼らがわたしにむかって叫ぶならば、わたしは必ずその叫びを聞くであろう。
見よ、あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が、叫んでいる。そして、刈入れをした人たちの叫び声が、すでに万軍の主の耳に達している。
というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、
欲の深い人は急いで富を得ようとする、 かえって欠乏が自分の所に来ることを知らない。
物惜しみする人のパンを食べてはならない、 そのごちそうをむさぼり願ってはならない。
こうして彼らは貧しき者の叫びを 彼のもとにいたらせ、 悩める者の叫びを彼に聞かせる。
主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。
不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。
人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。
それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。
愚かな者の計るところは罪であり、 あざける者は人に憎まれる。
耳を閉じて貧しい者の呼ぶ声を聞かない者は、 自分が呼ぶときに、聞かれない。
油断することなく、あなたの心を守れ、 命の泉は、これから流れ出るからである。
血を流す者にあだを報いられる主は彼らを心にとめ、 苦しむ者の叫びをお忘れにならないからです。
あなたは七年の終りごとに、ゆるしを行わなければならない。
主は言われる、「貧しい者がかすめられ、 乏しい者が嘆くゆえに、わたしはいま立ちあがって、 彼らをその慕い求める安全な所に置こう」と。
わたしは目の前に卑しい事を置きません。 わたしはそむく者の行いを憎みます。 それはわたしに付きまといません。
あなたがたはすべて寡婦、または孤児を悩ましてはならない。
そしてモーセは彼らに命じて言った、「七年の終りごとに、すなわち、ゆるしの年の定めの時になり、かりいおの祭に、
隣り人を卑しめる者は罪びとである、 貧しい人をあわれむ者はさいわいである。
『あなたがたの兄弟であるヘブルびとで、あなたがたに身を売り、六年の間あなたがたに仕えた者は、六年の終りに、あなたがたおのおのがこれを解放しなければならない。あなたがたは彼を解放して、あなたがたに仕えることをやめさせなければならない』。ところがあなたがたの先祖たちはわたしに聞き従わず、またその耳を傾けなかった。